テーブル
最上階の閉店した社員食堂のテーブルが、開放的な仕事場になった。
そこの窓からは浜離宮がよく見えた。逆の方を見ると東京のオフィスビルが広がっている。
どこらへんが渋谷だろう、と自分の会社に思いをはせながら
厚さ3センチのリストを開いていた。
閉店後の食堂は広々としていて、私以外にも何人かが仕事をしていた。
作業場所の部屋には私たちガウス用の机も用意されていた。
けれど、何十人もの見ず知らずのプログラマ達がひしめき合うため、息苦しいものがあった。
食堂のテーブルなら、大きいリストのほかに本も広げられるし、紙コップのコーヒーをこぼすこともない。
夕刻になると夕日が差してきて白い壁もオレンジ色に染まって、切なさも募ってくる。
下請けのプログラマ達が夕刻の閉店後の食堂で仕事をしているというのも、三井造船の社員から見れば
かなり異様な光景であったのではないかと思う。
そのころ、造船不況という言葉があった。
造船会社は生き残りの手だてとして、得意のコンピューター技術を利用した製品をだそうと必死だった。
「地理情報システム」はその応用製品ので、私たちが受けていた仕事はその中の写真から地図を
起こす部分のプログラムの移植だった。
移植とは、すでに完成しているプログラムを、別のコンピューターでも利用するために部分的な修正を
加える作業をいう。
しかし、この修正を加えるだけ、という言い回しがくせ者で、簡単だよな、と錯覚してしまう。
実際は違った。
先輩のKさんのリストはさらに分厚かった。全部で10センチ以上はあったと思う。
リストを見ながら、修正する箇所を赤ペンでチェックしていく作業を黙々とこなしていた。
私も自分のリストを見ながらチェックをしていたが、その量の多さと作業の単調さで
ストレスが溜まっていった。
つぎ
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