玉野での生活

私は毎日、玉野の地元の黒いタクシーで往復していた。
寮は元々、造船所で働く人のためのもので、玉野の丘の上までは来るまで15分くらいかかった。
帰りも定期バスが6時くらいまでしかなく、タクシーを電話で呼んで帰っていた。
寮に着くのはだいたい9時頃で、それから夕食か洗濯であった。
夜、寮の屋上にある洗濯機で下着とワイシャツを洗濯した。
宇野の駅前まで食堂を探しにいくも、たいていのお店は8時頃には閉まっている。
夜は焼き肉屋とスナックの類しかない。
その焼き肉屋で3人で遅い食事をとることもあった。
近所の雑貨屋が夜遅くまでやっていた。
そこで買ったエロ漫画本に森山塔の連載がのっていた。
寮の食堂でもたまに夕食をとったが、ここも遅くなると閉まっていた。
考えてみれば、そんな深夜まで働く者はプログラマ以外におらず、
私たちのほうが特殊なのであった。
夜はクーラーが無かったので窓を開けて寝ていた。
部屋が一人部屋だったのが、幸いした。
なぜならここにいること自体、仕事が遅れたからであり
慣れない環境に神経を使うプログラミングの作業で、お互いがイライラしていた。
Tさんは自分の部屋で剣道着に着替えて竹刀を振り回していた。
昼間の仕出し弁当に飽きた私たち三人は、事業部の向かいにある小さいレストランに行ってみた。
ここのランチは豪華で、玉野の山の中の食堂とは思えない垢抜けたところであった。
このランチで私は気分的にずいぶん救われた。

造船所の町とはいえ、私は造っている船の姿を一度も見かけなかった。
タクシーで帰る途中、運転手がナイターの明かりのほうを造船所だと説明してくれたような
気がするが良く覚えていない。
それよりもトラックを載せるためのフェリーを桟橋付近でよく見かけた。
宇野駅の周りにはトレーラーがよく止まっていた。
この桟橋のそばのホカホカ弁当も私たちの食料のひとつで、朝、買いに行ったこともあった。

つぎ

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