事務処理系

通信教育の勉強(?)の合間にも働かなければならない。
その頃の仕事は、事務処理系の仕事に廻された。

当時のプログラマの仕事は大きくわけて「事務処理系」と「科学技術系」の二種類の仕事があった。
「科学技術系」は主に幾何学の数式を用いて図形の処理を行うもので、
金属部品をコンピューター上で自動設計したりするのに利用した。
これに対して「事務処理系」とは会社の給与計算を行ったり、
銀行や証券会社のお金の計算を自動化するためのプログラムを作るものだ。
事務処理系の仕事はプログラミングの仕事量が多いのが特徴だった。
お金の計算は小学三年生の学力で出来るが、
経理の仕事をそのままプログラムにするので量が多いのだった。

その仕事場は東横線から目蒲線に乗り換えた下丸子という駅から10分くらいのところにあった。
工場の一棟の広いフロアに机を並べてそこにプログラマも並んで座っていた。
あまりの大人数にリドリースコットの映画のように霧がかっていた。
これが伝説のプログラマーが養鶏場の鶏のように並んでいる光景であった。
私はこの工場の一番奥の方に机を与えられた。
仕事はとある製紙会社の全社員の給料計算に加えて材木の在庫管理まで行うという、
面倒くさい仕事であった。
もちろんそれを大人数でこなすことになる。
その人員は弱小ソフトハウスから派遣されるのが常である。

机はオフィス用のものであるがエレベーターは工場のままである。
油の染み込んだエレベーターは軽自動車が軽く載るような奴で
扉に指を挟めば出血すると思われた。
この場所に先に来ていたS嬢という女性のプログラマがいた。
彼女がエレベーターホールで休んでいると向こうから作業服姿のおじさんがきて
ハイヒールは禁止です、と彼女を注意した。
彼はこの工場の安全担当だと思われた。
要するに私たちはいつの間にかこの工場の工員になっていたのだった。
机や椅子もよく見るとどこかのオフィスのお古である。
いつかはきれいなオフィスで会社員らしく働きたいと思ってしまうのである。

憂鬱な仕事場をでて食堂に行くと楽しくなる。
ここの昼飯はメニューが豊富で量もあり、野菜などのバランスも良さそうでうまかった。
工場内は工員のための施設が充実している。とくに食事は優遇されているのであった。
こういうところは、かけそば、牛丼、コーヒー、カレーばかり食べて胃腸を壊してしまうような
サラリーマン生活にはない恵まれた部分である。

この事務処理の仕事も各所で悲惨な状況に陥っていた。
おおもとの請負先の人たちの何人かは机の前で転職情報誌を眺めていた。
それはクビにしてもらうのを待っているかのようであった。

そこで使ったコンピュータはHP1000というヒューレットパッカード社のミニコンであった。
そしてこの工場は横川北辰電気という、昔、映画の映写機を作っていた工場だったのである。
横川はやがてヒューレットパッカードと合わさって横川ヒューレットパッカードとなる。
その工場で映写機を見かけることはなかった。

つぎ

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