対決

PC8801SR版と同じ時期に、別の子会社でPCエンジンのCDロムロム版の開発が
始まっていた。
CDロムロム版はCDーROMの特性を生かしてしゃべりまくる動きまくる、
というのが売りだった。
CDロムロム版はオリジナルストーリーということで、
PC8801SRを担当していた私たちは対抗意識を燃やしていた。
で、CDロムロム版の担当が何をしたかというと、
Tさんが描いた絵コンテを横取りしに来たのだった。
これにはTさんはえらく怒った。
なにもせずに人の苦労して作ったものを断りもなく利用するのだから、
Tさんの怒りももっともだった。
でもこれは当時のゲーム業界ではよく行われていることだった。
紙に描いた絵は無料だという意識が根強かったのだ。

その別会社で音楽を担当していたのが、新人のKJさんであった。
KJさんはのちにガイナックスでプリンセスメーカーの音楽を担当することになる。

ゲームのデザイナーの担当分が終わるとデータとカット表を
プログラマに渡して私とTさんとOさんは解放された。
Kさんはアクション面だったので主任と作業が続いた。
Kさんは霊感が強くて、食事をしているときなど
部屋の隅に黒い塊がよどんでいるよ、などといったりして私たちを怯えさせた。
Kさんはアニメーションからゲームに転向してきた人で
その後を追ってOさんとTさんが来たのだった。
Kさんは見えるのが当たり前の生活だったので、
見たくないものは誰にも教えないように気遣っていた。
それでもOさんはたまに教えてもらってえらく怯えていた。

発売が決まり、ライバルのイース3と競り合うことになった。
といってもRPGゲームのほうが市場的には強いので勝ち目は薄かった。
そこで大胆な売り込み戦略が採られたようである。
まず、私とOさんとTさんは別室の電話のある部屋に行って、
日本国中の電気屋さんに「ヴァリス2は入りますか?」と電話を掛けまくるのである。
電話を受けた電気屋さんは、とりあえず一本入れてみようかという気になる。
まるで電波少年のふかわりょうの営業のような戦略だ。
当時、ゲーム雑誌社のランキング表に猜疑的だった副社長は、ある試みを行った。
まず、雑誌を何百冊も買い込む。そしてその添付のハガキのユーザーが選ぶゲームに
ヴァリス2を書き込むのである。組織票という奴である。
ランキングの得票数は数百も無いので、買った本の数だけで一位をとれるはずだ、
ということで社員全員に何十枚とハガキを書かせた。
これでも確か一位にはなれなかった。
副社長は雑誌社にかなり怒っていた。
イース3に勝つのは無理であろう、というのが当時の大方の見解だった。

それでもヴァリス2のヒットでお店も会社も雑誌社も潤ったと思う。
この会社へのファンも増えた。
そこでこの勢いに乗って私とTさんとKさんとOさんの四人で次のゲームを
企画できることになった。
と、そこまでは良かったが会社はPCエンジンのCDロムロムの開発に動き出した。
私たちの企画も全て白紙に戻された。
そのあと何で揉めたかは覚えてないが、私の持ち前の生意気さが副社長のかんに障って
灰皿をぶつけられてしまった。
TさんとKさんとOさんは先に会社を辞めていった。

私は自分が退職願を出した日、この会社の会長さんに出会った。
会長さんは社長と副社長のお父さんだった。
会長さんは息子たちのことをとても信頼していた。
いまでも印象に残っているのは「あの子はとても優しい子だから」
と副社長のことを言ったことであった。

私はヴァリス2のパッケージをもらってこの会社を離れた。

つぎ

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