プログラマという商売
私は以前に知り合っていた、MT君を思いだした。
ここではまだ話していないが、私はガウス時代に「コンピュータゲーム研究会」という
会合を主催していた。
そのメンバーの中の一人がMT君だった。
私はMTくんがX68000でゲームを作っていたことを思い出し、
MTくんを誘ってみた。MTくんはジャパンシステムという会社の社員だったが、
仕事が面白くなくて辞めようと思っていた。
私は「もしかしたらNCSで仕事が出来るかもしれないよ」とMTくんを誘った。
MTくんは本当に会社を辞めてやってきた。
NSCの担当のおじさんはUMさんといった。
UMさんは私たちと居酒屋で意気投合した。
私たちはいける、と確信したがその後、連絡がなかった。
MTくんもすぐに仕事をしなければいけないし、
私たちはUMさんに詰め寄った。
UMさんの雰囲気から察して、単にお酒で気が大きくなっていただけだった。
パソコン持参でグラフィックをやる人間が欲しいのが本音だった。
私はこれをきっかけに、お酒の席での約束を信用しないことにした。
私は夏の間、元、データウェストに在籍していたS君(名前忘れた)という大柄なプログラマに
グラフィックの仕事をもらって4万円位だったか稼いでいた。
Oさんは原画を担当して私がPC88で色を付けるといった具合だった。
そのお金も微々たる物だし、T社で稼いだお金もそんなにもたない。
私たちはNSCの件を諦めるしかないと決断した。
危機感を持った私たちは、今度は別々に就職活動をすることにした。
一人単位ならゲーム会社に潜り込むのは簡単だった。
それに、あのヴァリス2のメンバーということも手伝って就職に有利だった。
OさんとKさんはビクターインタラクティブでゲーム製作者を募集しているのを
見つけて面接に行った。
私はMTくんを辞めさせてしまった責任もあったので、
ビクターにMTくんと二人で面接に行った。
OさんとKさんとはあくまでも他人と言うことで通した。
経験から、同じ仲間は取らないだろうと感じたからだ。
Oさんはこの後ビクターで慶応遊撃隊のキャラクターデザインを担当することになる。
私とMTくんは面接の部屋に通され、ビクターの岩沢さんともう一人の人が入ってきた。
Iさんが私とMTくんに幾つかの質問をして、後日、結果を伝えるということになった。
結局、MTくんの就職が決まった。
私は25歳を越えていたので年齢的にもハンディもあった。
就職を蹴られたことはしゃくだったが、
MTくんの就職が決まったことで私の肩の荷が降りた。
ビクターにはこの後もKさんを尋ねて、もう一人入社していった。
過去にヴァリス1を作った人もビクター経由で転職していったという、噂も聞いた。
ガウス時代の同僚だった人を訪ねた。
私はゲームの仕事を一時あきらめ、その人からアルバイトを紹介してもらった。
通常のプログラムの仕事はとても高い報酬だった。
絵が描けなくなるのは寂しかったが、まず食べていかなければいけない。
プログラマとして豪華な経歴書を持参して、
お客さんのいる秋葉原へ向かった。
つぎ
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