コンピュータ・ゲーム研究会

ガウス時代にコンピュータ・ゲーム研究会という会合を始めた。
中野サンプラザの上にある会議室を貸し切って、コンピュータ・ゲームに興味のある
有志で集まって、研究発表をしようという会だった。
会議室は20名相当で8500円程度で借りられた。
中野サンプラザは別名、勤労青少年会館といって働く青少年のための施設なので
私たちは安く借りられるのだ。
月に一階の土曜日に借りて、そこに十数名の同世代の人間が集まった。
ほとんど全員がプログラマだったが、ガウスの同僚だけでなく、
他の会社のメンバーもいた。

始めに私の挨拶をして、それから研究発表となる。
会議室利用は夜7時から9時までの2時間。
ひとり20分の三人位で休憩を入れる、という段取りだった。
MTくんはX68000を持ち込んで作ったゲームをみんなに披露した。
X68000はスプライト機能とサウンドの充実した唯一のパソコンだったので、
出来映えが見応えがあった。
電子音楽の好きなJH君も発表した。
ジンチャンはデジタルシンセサイザーの解説をした後、
持ち込んだキーボードを駆使してデモを披露してくれた。
コンピュータはヤマハのMSX2でなかなか使えた。
私はPC9801UV11でなにか披露したが、なにを見せたのか思い出せない。
きっと思い出すのが面倒くさいぐらい、つまらない物だったのかもしれない。

会合ごとに郵便で案内書を会員に郵送した。
これはそれぞれ異なる仕事場でも連絡が取れるようにする配慮と
案内書に四コマ漫画を描いたり記事を書いたりして読んでもらう趣味も兼ねていた。
夜の勉強会という雰囲気と中野サンプラザというネームバリューのある場所、
そしてコンピュータゲームというものへの興味で、コンピュータ・ゲーム研究会は
毎回、十名前後の人が集まった。

会合が終わると中野の焼き肉屋さんへみんなで出向いた。
平均年齢25歳だったので食べ盛りで肉はあっと言う間になくなった。
追加の肉と生ビール。
みな、思い思いに充実した。

コンピュータ・ゲーム研究会の噂は社内に広まった。
上の人はあまりいい顔はしなかったと思う。
同僚が集まった会合というのは、会社からすれば警戒される集団でもあるから、当然である。

ガウスを退職し、T社に半年勤め、フリーになって久しぶりに会合をした記憶がある。
MTくんはビクターでゲームプログラマとしてデビューしていた。

コンピュータ・ゲーム研究会のメンバーで私も含めて何人かは
現在、本当にゲーム業界で活躍している。
私は、当時は夢こそあったが本当に業界で働くとは思っていなかった。

つぎ

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