結末

いよいよ11月に入った。冬である。
私の受け持っているシステムの方は順調に稼働している。
だけれど、本体側のシステムのほうがまだうまく動作しない。
それは仕方ないことだった。移植前のマシンが凄すぎたのでこのマシンでは
動かないのである。メモリーもパワーも足りなさすぎたのだった。
航空測量地図の会社の担当者とも親しくなった。
私たちが残業している間も付き添わなければいけないので、
夜、応接室でテレビを観ていたのをよく見かけた。
その晩は南極で犬がどろどろに溶けるSF映画を観ていた。
その人も、残業生活にすっかり慣れていた。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そこの会社の支社長が天下りの人であることを話してくれた。
どうりで直接せかされたりしないわけである。
いきなり入社してきたのでは、何にも関わらないようにしているしかない。
私たちが作っている(?)未完成のシステムもこの名古屋支社に
押しつけられて来たのかもしれない。

そしてついに図化機と呼ばれる、地図作成用の機械と通信で結ばれるときがきた。
といっても本当に通信だけが結ばれているだけで、システムとして機能しないのでは
どうしようもない。

11月末ごろであろうか。東京からプロジェクト中断の電話が入った。
4ヶ月のときの流れが終わる。日曜日が休めるようになる。
私はとうとう解放されるんだと思い、プロジェクト責任者のYさんには悪いが
うれしくてしょうがなかった。
私たちはマシンの周りを片づけ、ホテルに帰り、身の回りも片づけをした。
そして東京に帰る日、栄のうどん屋で、味噌煮込みうどんを食べた。
ただただ喜んだ。

その後、そのシステムがどうなったかは知らない。
ある日、別の仕事場で偶然に仕事をしていた人と出会った。
あのシステム自体は凍結され、MICROーVAXと呼ばれる小型で高性能なマシンで
移植を必要としないで動作できるようになったとか。
あの4ヶ月間は何だったのか、まあどうでもよくなったけれど、
あれから私の会社内での態度は大きくなった。
頭の思考回路もかなり変更されている。

つぎ

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