埼玉の広大な地

一ヶ月程度のちょっとした仕事だった。
関東平野の中程に位置するJR大宮駅のひとつ前の駅で私は降りた。
渋谷から1時間はかかっただろうか。
駅の名前を覚えていない。
ただJRの通勤電車が特急電車並みのスピードで走ったのは覚えている。
晴れ渡る空の下、私はとうとうここまで放り出されたのかと感じた。
埼玉県の平野は広い。

駅の出口で迎えてくれたのは三菱金属へ出向社員として出向いているTさんだった。
Tさんは私と似たような時期に入社した同僚ではずなのだが、
初対面のような感じがした。
ほとんど三菱の社員といっていいくらい、長い間この地で仕事をしている。
三菱金属は駅から歩いて20分のところにあった。
正門前に到着すると入門証をもらって敷地にはいるわけだが、
そこからがまた長い。自転車で移動している人も見かけた。
広い敷地内を歩いていくと奥の方にTさんの仕事場があった。
そこは金属材料の試験のようなことをする部門で、
私は簡単な解析プログラムを請け負ったのだった。
マシンはPC9801であった。

専門的な話になるが、以前のPC9801で使われる言語は
その手軽さからN88BASICを使うことが多かった。
けれどもMS−DOSの普及とC言語コンパイラの低価格化で
簡単な仕事でもC言語を使うようになっていた。
この仕事で使ったCはオプティマイジングCと呼ばれる、
MS−Cの原型になったものだった。
MSとはマイクロソフトのことである。
ここからは推測と噂の域をでないが、マイクロソフト自身で出した
C言語は評判が悪くて、オプティマイジングCの権利を買い取って
MS−Cのver2.0としたらしい。
その他のパソコン用のC言語はラティスCとホワイト&スミスCの二種類が
出回っていたが10万円以上した。
オプティマイジングCはそれよりも安くて、しかも高性能だった。
フロッピーディスクだけでコンパイルとエディットの作業が出来た。
いまではワープロでさえハードディスクが無ければ使えないが、
当時はフロッピーディスク二枚でプログラムの仕事をこなすのが普通だった。

三菱金属での仕事は本社に持ち帰りが出来たのと、一ヶ月という短期間の仕事だったので、
何ごともなく無事に終えた。
Tさんはその後もずっと三菱金属で仕事をしていた。
もしかしたら、いまでも続けているのかもしれない。

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