会食

Oさん、Tさん、Kさんは元々フリーなのでひとりでもやっていける。
けれども、理想のゲームを作るために、
まとめて会社に入ろうということで考えが一致したのだった。

会社を辞めた私達は、新宿の喫茶店や高円寺の居酒屋に集合した。
私たちに数名の志望者も加わり、全部で六人ぐらいになっただろうか。
これからどこの会社でどういう形で仕事をしていくかを話し合った。

就職先の会社はKさんが就職情報誌で探していた。
ファミコンのソフトを作っている会社で大久保の会社と中野の会社があった。
けれども大人数のデザイナーを雇ってくれることはなく、
辛抱強く探した。
NCSメサイヤというゲーム会社を見つけた。
このゲーム会社は当時大きく成長していたので、
全員受け入れてくれるかもしれないという希望があった。
担当の人はいい人だったが、プログラマがいないとゲームを一本引き受けるのは
無理だろうということになった。
私たちは新宿の談話室・滝沢に集まり、作戦を練り直した。

ヴァリス2でビジュアル面のプログラムを組んだ
Kさんを誘ってみることになった。
Kさんは人当たりもよく、プログラマなら別の会社でも高い報酬を得られるだろうから
本人にとってもいい話だろう、ということになったと思う。

Kさんはまだ社員だったので食事に誘って、口説くことになった。
誘う段階では本人には何も話していない。

私達は飯田橋の高級和食料理屋にKさんを誘った。
料理屋を手配したのはOさんとKさんだったと思う。
そこで天ぷらでも摘みながら口説くということだ。
いかにも見え見えの作戦だった。

夕方、Kさんがやって来て食事となった。
Kさんにしてみれば私たちはヴァリス2で一応の成功を収めていたので
断る理由も無かったのだろう。
KさんとOさんと私とTさんの目は期待でギラギラしていた。
Kさんは快く食事を受けてくれたが、仕事の件は遠慮するということだった。
私たちはがっかりしたが、愛想笑いは絶やさなかった。

他にプログラマを探したが、見つからなかった。
私はプログラマであったが、このころはアセンブラをマスターしていなかったので
作るのには無理があった。
そんな状態が半月ばかり続いた。

つぎ

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