下請け

秋葉原のジャンク屋街。
その通りに面した三階に会社はあった。
私とTさんは細い階段を上っていった。
その会社のオフィスにはTKさんがひとりでいた。
本社は広島にあり、東京に来ているのはTKさんひとり。
秋葉原の部品を広島に送ることも目的のようだった。

ハードウェアとソフトに強いのが売りの会社だったが、技術者のほとんど広島にいた。
そこでTさんに余ったソフトウェアの仕事を紹介してくれたのだった。
Tさんは別の仕事をしていたので、暇な私にその仕事を回してくれたのだ。
当時のフリープログラマの一人あたりの単価は、
月額50万円を割ることがないくらい高収入だった。
私は受けることに決めた。

仕事の内容はファクシミリの組み込むためのソフトの開発だった。
それは64185といったか、65180だったかそんな名前のCPUだった。
業界筋では有名なCPUらしかった。
私に理解できたのは、そのCPUがMSXパソコンのZ80と同じものだということだった。
言語はアセンブラ。
ゲームでは触れなかったアセンブラに、プログラマとして触れることになった。
時は9月。ひとまず年内の収入の心配が無くなった。

TKさんは素直でいいひとだった。
私はTさんとTKさんとの世間話で初日を過ごした。

別の日に私とTKさんとTさんの三人で、SS社(もちろん仮名)というお客さんの会社へ出向いた。
SS社は秋葉原から歩いて15分くらいのところにあるハードウェアに強い会社だった。
一階が倉庫を改造したような開発室で、基盤むき出しのハードウェアが並んでいた。
二階にパソコンの並んだソフトの開発室。
私とTKさんとTさんが一階の会議室のようなところに通された。
そこでファクシミリのソフトはすでにあるものを改造するだけで簡単だと言われた。
簡単な仕事で高額な収入ならばいうことなし。

私は見た。
ベニヤ合板に基盤とをくっつけただけの粗末なファクシミリ。
「これのどこがファクシミリなんだろう」と声にこそ出さなかったが、
いやな予感がした。
ファクシミリの本体は後から来るということだった。
この仕事の大元は某国のメーカーから受けたものだった。
別のハードウェア設計会社にもファクシミリ本体を注文していたようだった。

私はこの会社から歩いて10分のところにあるその設計会社に出向いた。
そこでSさんが紙袋からファクシミリの本体らしき物と基盤を持ち出して、
設計会社のベテラン担当に見せた。
「こりゃひどい」
そのおじさんに言わせると基盤の設計からして酷いらしかった。
ファクシミリ本体はクリーム色のプラスチックの固まりで、
これも問題外と言われた。
「その酷いやつのプログラムを作るのは俺なんです」とは言わなかった。

わかりやすく要約すると、
1.その当時の某国のメーカーにはファクシミリのノウハウが無かった。
2.そこで日本のファクシミリの開発経験のある下請け会社を集めた。
3.それらの会社に日本製のファクシミリのコピーを作らせる。
という具合だった。

私に渡されたプログラムソースも某メーカーのファクシミリに使われた物だった。
某国初のファクシミリのプログラムを私みたいな未経験者が作っていいのだろうか、
と思ったが、ようするに誰もやりたがらなかったので私にまわされたのだった。

つぎ

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