干される覚悟

SS社の一階の倉庫のようなところに一ヶ月は居ただろうか。
10月半ばで少々寒い。
真横には木の工作台。前にはパソコンラック。
そこにEPSONのPC−286というパソコン。
それにICEといういかにも冷たそうな名前の装置をつなぐ。
これをファクシミリのCPUのところにケーブルで取り付けると
パソコン上でファクシミリのソフトを開発できる仕組みだ。
しかし肝心のファクシミリ自体がバラックのような状態で
私のしていることは電子工作の延長のような仕事だった。
一ヶ月近く、一人きりでバラックと睨み合っていた。
専門的にいうと、このボード上で動作していたのは64KRAMとシリアルコントローラー
だけだった。電卓以下のお粗末ぶりだ。

元の日本製ファクシミリの開発担当だった人が呼ばれて打ち合わせをした。
その人はバイクでやってきた。はっきり言って「なぜ俺を呼ぶんだよ」という感じで、
かなり怒っていた。その人は参考に呼ばれただけでこの仕事には無関係なのだった。
肝心のファクシミリ本体はベニヤ合板に白いプラスチックの固まりというお粗末ぶり。
ソフトが動いたところで紙も出てこなければ電話も掛からない。
もっとはっきり言えばポリバケツを横に持ってきて、
みんな放り込んでもおかしくない状態なのだった。
一番困っているのはSS社の社長のSさんだった。

当初、日本製ファクシミリのコピー版で終わるはずの簡単な仕事は、
国際問題にまで発展する可能性を含んでいたのだった。
政治的な問題までいかなくても、外国同士の間での契約は、
失敗したときの弁償金をどうすればいいのか、でもめそうだった。

私はこのままのバラックの状態では何も作れないと判断して、
この仕事を断ることにした。
SさんとTKさん、それに私に直接仕事を振ってくれたTさんは
困惑していた。
その直後にやっと、ハード屋のおじさんが来るようになった。
そのおじさんも逃げ腰で、がらくたのような緑の基盤を眺めては、
夕方に自分の会社に帰るということを繰り返した。
ハードの方はかなり変更が必要なことになって、
私の仕事は完全に止まった。
私は仕様書をまとめてSさんに提出することで、一旦仕事を終えることとなった。
Sさんは私の仕様書が気に入らなかったようで何度か書き足したが、
完成してもないファクシミリの仕様など解るわけもなく、
ここで二度と仕事をしないと覚悟をきめた。

業界の常識では、一度そこで仕事を中断すれば、
その会社、さらにその周辺の会社では二度と仕事を貰えない。
これを「干される」と言う。

私はその一帯で干されることを自ら選んだわけである。
その後、ファクシミリの開発が再開して、私に声が掛かった。
やる人が居なかったのだ。正確に言うとやりたがる人などいないということだ。
私は再度断った。

そして私はこの業界から消えた。

つぎ

もどる