No.25 スターの暗闇
トイレの中からドアを開き、僕と涼子さんは部屋の暗闇を見渡す。
廊下のカーペットを夜空の明かりが青く照らす。
中央線沿線の夜特有の蛍光灯や水銀灯が夜空を染める、その明るさだ。
気配は無い。
涼子さんは走るようにしてトイレの小部屋を飛び出し、
向かいの壁にぶつかると壁紙の感触を確かめるように横歩きして
自分の部屋のドアを開くと飛び込んで閉めた。
裸だからな。
僕は暗い廊下まで出るとスイッチを確かめる。
電気付けてもいいのかな?
「涼子さん、電気つけていいですか?」
「待って」
何か着ている音がする。
涼子さんはキーホルダータイプの懐中電灯を持って出てきた。
ヒップホップ系黒のジャージの擦れる音とTシャツの綿の肌触り。
涼子さんは僕の斜め後ろに付くと顔は僕の耳と僅か10センチだ。
「帰ったかしら」
「帰ったでしょう、僕たちはトイレの中で長く待ちましたから」
「酷い人たち、無断で部屋に上がり込むなんて」
「誰です?」
「会社の人」
「事務所ですか?、ここの鍵持ってるんですね?」
「私が家賃払っているわけじゃないし……」
「涼子さんがお風呂入ったりしても勝手に上がるんですか、まるで彼氏のように」
「怒っているんだと思う、連絡しなかったから」
「連絡?、しなかったんですか?」
「学校を出ましたとか、バスに乗りましたとか、マツモトキヨシでシャンプー買ってまーす、とか、報告するのおかしいよね?」
「バスで通っていけるとは、ご学友のみなさんは紳士になられたようで」
「仕事の時間が空いたんだから、いまは私の時間だもんね」
「涼子さんがここにいないとして、事務所としては騒ぎが大きくなると思う」
「私は時間を作って小説を書くって決めたの、私より10歳年上の人が子供みたいな原稿書いて何十万円なんだよ」
「恐すぎる発言」
「小説書いたら新人賞をくれるって出版社の社長さんと約束しちゃったし」
「恐い……」
「それに経験がいるの、
普通の大学生としての生活体験。
日常の自然な行動は俳優としての演技にも不可欠だし…………
私がブスだってバレないうちに、仕事の幅を広げていくんだ」
「涼子さんが言ったらイヤミだ」
ホントに本心からそう思っているのかな……
「今夜はどうするんです?」
「30分位したら部屋の明かり付けて、帰宅したことにすればいいのよ」
「僕は?」
「へ?」
「東京スポーツの一面を飾ることになるでしょうか?」
「めがねくんとのことは記事にならないから大丈夫」
涼子さんは僕の背中にふざけるように抱きつく。うわっ…
「こーんなことしたって誰も騒がないんだよ、相手によるんだよね、不思議な世界だよね」
「僕とのランデブー写真をフライデーに送ったら、無視はしないでしょ」
涼子さんは耳元でささやく。
「めがねくん、そういうことする人?」
「しない…」
「めがねくんは悪いことしないもん」
「ありがとうございます……」
暗闇の居間へ行く。
窓の外に無数のビルの窓明かりが海のように広がっている。
懐中電灯で照らしたテーブルの上に、一枚の紙がセロテープで貼り付けてあった。
『 帰ってきたら大至急連絡お願いします 大友 090―××××△△△△ 』
懐中電灯の灯りが揺れる。
涼子さんのふるえだ。
「私、知らないおじさんに抱かれるとしたら、めがねくんどう思う」
背中に冷たい感覚が走る。
僕は現実を拒絶するかのように、身体が強ばり堅くなる。
一瞬にして、すべてを悟った。
僕の震えは恐怖心か?
涼子さんの表情は闇の中。
つづく
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