派遣される仲間

いま、私はジェーマスで他に誰と仕事をしていたかを思い出せないでいる。
KRさんだったろうか?
KRさんは東京理科大学の卒業生で数学の才能があった。
科学技術計算系では線形幾何学と呼ばれる学問の数式が重要で
KRさんがひとりいるだけで大助かりなのだ。
けれども証券の仕事は難しい数式は使わない。
KRさんを連れてくるにはもったいない。
Kさんかもしれない。
Kさんは私の入社当時からいっしょに仕事をしていた先輩で、
二人だけで仕事をしていたことが多かった。
そうだOさんという人もいた。
OさんもKさんやKRさんと同じ科学技術計算系プログラマのひとりで、
現在は転職して国内の一流カメラメーカーに就職したと聞いている。
私が勤めていた渋谷に本社のあるガウスという会社で、
開発二課が科学技術計算系の仕事を受け持つ部署だった。
二課は私も含めてくせのある者の集団という感じだった。
課長はロケットシミュレーションプログラムのHさんだった。
私たちは社内にいるよりも別の会社の開発室で仕事をすることがほとんどだった。
プログラミングという仕事自体がそういうものであった。
一年中で一週間も会社にいない人もいた。
その人がそこの会社に就職すれば丸く収まる気もするが、
熟練したプログラマはどこの会社でも不足していて、
プログラマを派遣する会社は重宝がられた。
実は派遣と呼んではいけない。プログラムを請け負って現場に出向いて作業する人、である。
人材派遣する会社は許可が必要で、大抵のソフト会社は派遣業務などしていない、
ということである。
人材派遣に許可が必要なのは、
働く人が奴隷になってしまうことを防ぐためだ。
体験すれば判ることだが、自分の会社を離れ、ひとり別の会社で仕事をさせられるのは、
慣れてないとかなり苦痛が伴う。
それが比較的スムーズにいったのはソフト業界内の一人ひとりの思いやりだった。
ジェーマスでも、周りの人たちは私に気を使ってくれたし、机も他の社員と同じ物だった。

つぎ

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