評価される仕事

納期が迫ってくるとスタッフ全体に重圧がかかってくる。
この会社の場合は頻繁に進捗会議が開かれる。
一人ひとりがどこまで進んだかを報告する。
プログラミング作業自体に不慣れな人が多くてぎこちなかった。
私はこのグループ内では熟練者であるし請負という責任もあった。
おかげでかなりの進捗があり、自分の番でそれを報告した。
私は若さもあって生意気だったのかもしれない。
相手先の上司からの評判は良くなかった。
本社の方にも何度か電話がいっていたようである。
仕事を必要以上にこなす若者はどの職場でも煙たがられる。
私は数多くの現場でいろんなことを経験済みだったから、
お構いなしに自分の担当分をこなしていった。

システムエンジニアという肩書きを持つ女性にプログラムの
設計書のようなものを受け取ったが全く意味のない物だった。
その女性は設計書に自信があるらしく、私に一生懸命説明するのだが
説明するくらいなら設計書は要らない。
システムエンジニア、よくSEという書き方をするこの職業は、
本来プログラムに熟練した者がなる職業なのだが、
当時の業界にはいきなりSEになってしまう人が続出した。
学歴を背負って華麗なるシステムエンジニアに、という感じのキャッチコピー
が就職情報誌に氾濫していた。それはパブル経済の影響もあった。
熟練プログラマがいなくてもシステムエンジニアという肩書きを新人にくっつければ
何千万円、何億円と受注できたのだ。
いくつかの仕事はあとからプログラマを補充して完成にこぎ着けたかもしれない。
けれどもこの渡世術に失敗して倒産した会社も少なくなかった。

私はプログラムの設計図という考え方自体に疑問を抱いていた。
プログラミングに関する新しい参考書では、フローチャートの危険性や
プログラムとは別に設計図を作ることの誤りを指摘していた。
私もプログラミングオタクだったので新しい方法論には敏感であった。
新しい方法論を仕事に取り入れた分、満足感があったので頑張れた。
スケジュールは何とか守っていった。

私はこの仕事を続けていくうちに、
頑張っていればいつか誰かが評価してくれる、
と確信するようになっていた。
この現場でも評価してくれる女性が現れた。
その女性はプログラマで真面目に仕事をこなしていった。
そこの上司にも強く訴えてフォローしてもらった。
本当にありがたかった。
仕事を終わらせ結果を出すということが、
現場で働くプログラマの最大の武器である。
私は頑張ってスケジュール的に一番早くなり、
その時点で進捗会議自体が消えてしまった。
仕事が出来ればどんな硬いおじさんでもニコニコである。
何より攻撃されなくなったのがホッとした。

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