口喧嘩
どうも若いと血の気が多くて困るが、そのときの私は課長と口論になってしまった。
しかも津田沼の出先である。課長はえらく困っていた。
私が怒った原因は、この仕事自体が遅れている上に、
現場が混乱していて何を作ったらいいかも
ハッキリしていなかったからである。
もともとその課長と私とは専門分野がちがっていた。
私はCADなどを手がける科学技術計算系だったが、
課長の方はハードウェア製品に組み込むコンピューター用のソフトを組むのを得意としていた。
このソフトも計測器に組み込むソフトウェアということだったのであるが、
現場ではパソコンのお化けを使いFORTRANという言語を使うソフトだったのである。
これは組込用ソフトウェアを作るのとは少々毛色がちがう。
課長の方も戸惑いがあって、それが日数が経つごとに遅れになっていったのだった。
今考えてみれば誰が悪いと言うことでもないのだ。
私の無意識が辞めることを覚悟していたのかもしれない。
この仕事にも魅力を感じなくなっていた。
その課長はしばらく私のことを根に持っていたようであった。
仕事自体は簡単だったのでさっさと仕上げて、渋谷の会社へ戻ったりしていた。
私はパソコンでシューティングゲームもどきを作っていた。
始めて組むアセンブラという言語だった。
アセンブラ言語は一番機械に近い言葉で、ゲームを作るのによく使われていた。
当時、アセンブラ言語が使えるということはとてもかっこいいことであった。
私はソニーのMSX2パソコン、ヒットビットを購入して、アセンブラの勉強に使った。
MSX2は39800円で安く、そのわりに高性能でゲームソフトが数多く出回っていた。
ゲームを作る仕事がしたい。
私は会社の社長であったSさんに辞める意志を伝えた。
Sさんは私を止めるでもなく、事務的に返事を返した。
それから一ヶ月後の11月頃会社を退職することになった。
後で知ったのだが、社長のSさんも私の退職後、会社を辞めていた。
どうりで私を気にかけなかったわけである。
あの課長も後日、Sさんの新会社へ移っていった。
私は辞めたことを両親には話さなかった。
なんか気まずいし、勝手に辞めてしまったので言うタイミングを失ってしまったのである。
一ヶ月くらいはのんびり過ごしていた。
就職情報誌を買い、ゲームを作っている会社の就職先をチェックしていた。
数社あるうちから私が選んだ会社は、その当時、神楽坂にあったT社というゲーム会社だった。
満二十五歳の冬であった。
つぎ
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