ライバル

このころのパソコンゲーム界で話題になっていたのはイース3だった。
イースは質の高いRPGゲームで、美しい絵と高度なプログラミングテクニックで
他社のゲームと格段の差があった。
その第三作目である。
話題になったのは店頭デモだった。
それはイース3のゲーム紹介であるのだが、
それがPC8801という非力なマシンで動いているとは思えないほど
動きのある絵で、しかも絵自体がとても美しかった。
ヴァリス2とは発売時期もいっしょだったので完全にライバル関係だった。

社内的にもヴァリス2に力を入れる方向で動いていた。
私はTさんの思いとOさんの力を損ねることなくモニター上で再現できるように
1カット毎にカット表を作った。
これはプログラマに渡すためのデータの内容を書き記した紙で、
ガウス時代に使っていたプログラム仕様書を応用したものであった。

OさんとTさんはそれぞれ作画用の資料を持ち寄っていた。
私も背景を描くため、アントニオガウディの建築物写真集を買って参考にした。
絵を描いて仕事になるのでやりがいもあった。
それとゲーム会社はスーツを着なくていいし、
規則も以前の会社よりもゆるくて楽だと感じた。
ただ絵心とゲームへの興味が必要であるところが他の会社には無いところだった。

開発部の人間関係は、デザイナー・プログラマ・音楽、と綺麗に三つに別れていた。
私たちデザイナーは良くつるんで食事に出かけた。
忙しい仕事であるからメシぐらいうまいものが喰いたい。
居酒屋の昼定食、焼き肉のランチ、スパゲティー専門店、洋食屋、とんかつ屋、天丼屋、ソバ屋と
結構いろんなものを食べた。
私たちは残業手当でかなり裕福だったので、好きなものを食べることが出来た。
ただ仕事場でCDや本の類がよく無くなった。誰かが持っていったまま帰ってこなかった。
いまさらほじくり返してもしょうがない事ではあるが。

ゲーム面のグラフィックはデザイナー主任とKさんの二人でこなしていた。
いまの開発規模から比べると二人で創り上げたことはかなり凄いことである。
KさんとTさんは親友であった。Oさんは少し冷めていた。
Oさんは絵についてTさんから指摘を受けていて、ちょっとムッとしていた。
このころのOさんはエゴンシーレとアメリカンコミックに凝っていて、
私が「アメコミはバタ臭くて嫌だ」といったらかなりムッとしていた。
もしかしたらOさんはこのときから辞めたくなっていたのかもしれない。

つぎ

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