ワンダーフェスティバル
コンピュータ・ゲーム研究会の主催と平行して「吉祥寺クイズ」という、
ゲームソフトを作っていた。
この個人で作ったソフトをみんなに配布する手段として
「パソケット」というイベントがあった。
このイベントに出店をした私は「吉祥寺クイズ」を200円で売った。
出店と言っても公民館の一室のようなところで長机をならべて個人がソフトを売る、
青空市のようなものだった。
次に作ったのが「吉祥寺クイズ2」という新作ゲームだった。
これは私がゲームプログラムを始めるきっかけとなった作品で
PC9801シリーズというパソコン上で遊べる、
RPGとクイズを組み合わせたコンピュータゲームだった。
「吉祥寺クイズ2」を売るために参加したのが
「ワンダーフェスティバル」と言うイベントだった。
ワンダーフェスティバルはガイナックスが主催するガレージキットの即売会だった。
ガレージキットとは、自宅の車庫(ガレージ)で作るキット。
個人がプラモデルを作って売る、というものだった。
プラモデルというと語弊がある。
シリコンゴムとレジンという液体の化学薬品を使って、
自宅の机の上でもプラモデルみたいな模型を量産することができるのだった。
この先の説明は模型雑誌に任せることにしよう。
ワンダーフェスティバルの存在を知ったきっかけは、友人のSB君だった。
SB君の友人がワンダーフェスティバルに出店するというので、
その端っこで「吉祥寺クイズ2」を売らせてもらえることになった。
「吉祥寺クイズ2」の値段は一枚500円。
生産数は50本と決めた。
まず、フロッピーディスクにゲームを書き込む。
コピーには一枚あたり2分かかるので、全部で2時間近くかかる。
パッケージは近所の梱包材のお店で買った、100枚入りのポリ袋。
この袋にフロッピーを入れて、コピー機で作った表紙を入れて、色紙とホッチキスで口を止める。
50本揃えてSB君とその友人で出かけていった。
「第2回ワンダーフェスティバル」
ワンダーフェスティバルの会場は、浜松町駅から歩いて15分の東京貿易センターというところだった。
私たちが行った9時頃には、すでに会場の周りに行列ができていた。
これが当時のガレージキットの人気だった。
それに先見の目をつけたのがガイナックスという会社だった。
長机一つが出店のスペースで、私は端っこの15センチ幅ほどもらって、
夕べ作った「吉祥寺クイズ2」を並べた。
マジックで紙に書いた「¥500」の値札。
SB君とその友人はガレージキットを長机の上に並べ終わる。
TKさんの太い声でアナウンスされて開場すると、
ガレージキット目当ての若者達が走り込んできて、会場を埋め尽くしていく。
ガレージキットはアニメのキャラクタに人気が集中していた。
それぞれが50個とか百個とか少量なので、早く買わないと売り切れてしまうのだった。
「吉祥寺クイズ2」を買う人は、一時間に一人か二人だった。
その隣ではSB君と友人が次々とガレージキットを売りさばいていた。
千円札の集まる量に私は目を見張った。
すぐに売り切れてしまったが、友人はその場でレジンとそれを流し込む型を取りだして、
生産を始めた。
屋台のたい焼きのように作られていくガレージキット。
シリコンゴムの型を外すと中から出てくる、アニメの美少女。
それを買っていく20歳の青年。
午後二時頃になると、みんなの買い物が落ち着く。
「パソコンを持っているよ」と言う人たちが
「吉祥寺クイズ2」に目を付け始めた。
この会場でゲームソフトを売る人は私だけだったと思う。
「吉祥寺クイズ2」は次々と売れ初めて、50本をすべて売り尽くした。
500円が50本であるから、しめて2万5千円。
SB君の友人は売り上げの中の2万5千円がゲームソフトであることに
少しがっかりしていた。
その友人は、「ガイナックスはガレージキットを支え続けてくれるんだ」と信じていた。
ガイナックスがガレージキットから手を引くことを予想しなかっただろうし、
ゲームソフト業界を席巻していくことなんか考えもしなかっただろう。
そのガイナックスのプログラムを私が作ることになるなんて、
ワンダーフェスティバルの会場にいた私にも想像できなかった。
ワンダーフェスティバルは現在では「海洋堂」というお店が主催者になっている。
11月、私は委託販売ができると聞いて、
SB君といっしょにガイナックスの吉祥寺店へ出かけていった。
つぎ
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