ガイナックス

私は「吉祥寺クイズ2」を10本くらい持ってきた。
友人のSB君はワンダーフェスティバルの売れ残りの「アキラの炭団ボール」
というガレージキットを持ってきた。

二人は吉祥寺のガイナックスへ向かった。
SB君と入り口の階段から二階へ上がる。
5坪ほどの広さの場所にガレージキットや同人誌が
並べて売られていた。
どれも普通のお店では売っていない、手作りの商品だった。
カウンターの向こうには店員さんがいた。
この店員さんが、HK先生だった。

委託販売が出来ると聞いていた私とSB君は、早速HK先生に
吉祥寺クイズと炭団ボールを見せた。
その商品はすぐに棚に並べてもらえた。
委託料として売り上げの一割だっただろうか、ガイナックスに支払うシステムだ。

何日か、経ってからガイナックスに出かけた。
吉祥寺クイズは数本売れて、お金を貰った。
そのあと、KDさんが出てきて「このソフトを作ったのは君か?」と聞かれて
すぐに奥のオフィスに通された。
そこは「不思議の海のナディア」の準備中のアニメスタジオだった。
そこから更に奥へ行くと、パソコンが5台くらい並ぶゲーム開発だった。

画面には今開発中の「電脳学園2」の絵が表示されていた。
それは紙に書いた原画をスキャナーで取り込み、手で色を塗っている作業だった。
PC9801のプログラマがいないので、やって貰えないかということだった。
吉祥寺クイズ2がPC9801版だからだ。

私はちょうど仕事がなかったので引き受けることにした。
「電脳学園」シリーズはクイズ形式のゲームだったので
私にもプログラム出来そうだと考えたのだ。
そのあと逢ったのがA先生だった。
A先生はガイナックスのパソコンゲームを始めた人で、
「電脳学園」の生みの親だった。

私は後日、面接ということになり、T社と同じ絵の作品を持ってきた。
会議室で面接したのはA先生と、グラフィック担当のTMさんだった。
A先生もTMさんも絵を描く人なので、通じ合えるような気がした。
プログラムなのに絵の作品で面接というのも変だ。
けれどもこれが今後のガイナックスの方向と、私のプログラムの方向が一致する象徴的な出来事なのだった。

作業場所は私の家に決まった。
ガイナックスからエプソンのPCー286Vと40MBのハードディスクとディスプレィが
運び込まれた。

PC−286Vはエプソンという会社がPC9801をまねて作ったパソコンで
PC9801より高速で動作した。

内蔵された80286・16MHzというCPUのスピードに、
当時の私は酔いしれた。

つぎ

もどる