異動

吉祥寺の炭火焼肉屋さんでOさんとA先生とで食事をした。
私は少し緊張していた。
そのときに「ビールは飲みます」と言ったことが結構気に入られたようだった。
ガイナックスのグラフィックにはT社を辞めていたTHくんもいた、が
THくんがいつから来ていたのかよく覚えていない。
このころのガイナックスはNHKで春から放映する
「ふしぎの海のナディア」の準備で多忙しだった。
その年のニュータイプの表紙を飾ったのが主人公のジャンだったので、
これはいい時にコネが出来たと内心喜んでいた。

A先生の率いるゲーム部門が次にやる仕事はAS原作の
「サイレントメビウス」だった。担当はIKさんだった。
私は漫画に疎かったのでAS先生がどういう人だったのか知らなかったが、
本屋に単行本のあるゲームが作れるなんて夢のようだね、と羨ましがった。
電脳学園3を終わらせた私は次も仕事をもらえるかもしれないと期待していた。

IKさんは「サイレントメビウス」がアドベンチャーゲームでしかも
PC9801版先行開発だと聞かされていて少し困惑していた。
PC8801とPC9801とは内部構造が違うため、
また最初からプログラムのやり方を調べ直さないといけないからだ。
そこで私に声が掛かった。ラッキー。

ゲーム部門の拡張と「ふしぎの海のナディア」のためのアニメーション制作の
体制作りで社内の場所替えが行なわれた。
私とIKさんは社内の常駐になり机が並んだ。

ガイナックスに通い始めて、最初の頃、Iさんという人が辞めたという発表が
あった。私はその人とまったく面識がなくどんな人だか判らなかった。
暫らくしてSRさんが入社してきた。一同の見ている前でTKさんによって、
以前テレビ業界でADをしていたと紹介された。スーツとサングラスでこわもて
の人だった。ガイナックスにきて最初の頃にいたSGさんは辞めて、
Uさんがゲームの制作的な部分を引き継いでいた。

サイレントメビウスのゲームの仕事を引き受けたはいいが、音楽を作る人が
いなかった。ガイナックスの社内に音楽専門の人はおらず、
私がゲーム音楽の出来る人を捜すことになった。

つぎ

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