エプソン対応

サイレントメビウスの箱の絵はASさんの手によって描かれた。
上空に飛来するタイタニック号とサイレントメビウスの五人の女性が
出ている絵は格好良く、社内の評判は上々であったようだった。

フロッピーディスク7枚組という当時としては破格な枚数と
角川の版権、音楽のジャスラックへ支払う使用料、パソコンソフトという
売れ数に期待出来ないメディアであることが重なったためか
定価もぐんと上がって14800円となった。
しかもガイナックスの社運も掛かっていた。
Oさんはゲームのスタッフを会議室に呼ぶと夏までに完成させてほしいと
喝を入れた。

アドベンチャーゲーム自体はヒットがないというのが当時の業界の定説だった。
売れるのはRPGかシューティングかアクションだった。
グラフィック自体は当時のコンピュータ上の絵ではかなり画質が高く、
画期的なゲーム画面ではあった。

とにかく夏場までに電脳学園と同数売れて欲しいという感じは
私にも伝わってきた。
反対側ではナディアを一年間作り続けなければいけない状態だし
ガイナックスが倒れるわけにはいかないのだった。

7枚組のフロッピーが仕上がり、デバッグに突入した。
デバックを仕切っていたのは制作のFJ氏とATさんだった。
ATさんはSF大会というイベントでも活躍していた人で、
デバックする人たちの手配もした。
ATさんはよくIKさんにからんでいた。
デバックも順調に進み、私はプログラムのバグをとり
IKさんはシナリオのバグと演出のチェックをしていた。

ゲームのパッケージに収めるマニュアル類、フロッピーラベル等も
かなり念入りにデザインされ編集された。

そして完成、発売日を迎えてみると通信販売と流通を含めて
予想を上回る注文数が飛び込んできた。

つぎ

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