第一回 ピアノの天才現る
ここは王国モンテローザ。
花崗岩を寸分の狂いもなく積み上げて出来た城。
その庭に1000エーカーの森林を切り開き、貴族の館が築かれていた。
その居間に鎮座する、ラフィエットのグランドピアノ。
白く塗られたピアノから、真珠の音楽がきめ細かな音色で響き渡る。
黄金の柱を響かせるその共鳴に、揺れ動いているのは、
17歳の美少年、モーゼルであった。
10m幅の階段をドレスの裾を引きづり降りてくる、母、ヴィンテージ。
「ショパンのエチュードOP.10の4はあの人と弾くはずじゃなかったの」
「お母様、それは違います。シモーヌとの約束はハ短調の「革命」です」
「まあ、なんという危険な選曲、あなたをあの女と会わせるわけにはいきませんね」
「お許し下さい、お母様の好きなシューマン幻想曲、「夕べに」op.12の1を演奏します」
モーゼルは蝋燭のような白い指を象牙色の鍵盤の上に踊らせた。
ヴィンテージの目に南十字星が煌めいた。
「おお、モーゼル。あなたは天才中の天才。ウィーンの町が炎に包まれても人類は宝物を失わないわ」
「へへん、どんなもんだい」
「モーゼル、なんというはしたない言動!」
張り手の音が全長80メートルの廊下に木霊した。
モーゼルの華奢な身体は、タキシードの絹を犬ぞりにして、大理石の床を滑走していった。
「あちちちちち」
モーゼルは廊下の傾きにあわせて角を曲がると、パンジーの咲き乱れる中庭に出た。
マシューは中庭の手入れ専門、ベネチアきっての植木職人だ。
「あ、モーゼル様。今日はリージュの練習ですかい?」
「マシュー!、僕はいつの日かシモーヌとショパンのエチュードをデュエットするよ!」
モーゼルは体重移動をするとラケルの城下町へ30パーミルの勾配を滑った。
石坂の途中では遠足途中の修道女たちが、モーゼルをよけるために、花壇の中に避難していた。
「モーゼルさまー!、どこへ行かれるのですか!」
「みんな、僕の門出を祝福してくれ、僕を励まして勇気を与えてくれ」
「モーゼル様!ばんざーい!」
修道女たちの黄色い声が黄金の丘に響き渡る。
黒装束を風切り音で吹き飛ばしながら、なおも加速するモーゼル。
水平線は近づき城下の町が現れ始めていた。
「シモーヌ、待っていてくれ、必ず君のそばへ行くからね」
つづく
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