No.21　鯛焼きも濡れる夜
　
帰宅する人たちを避けるように夜の高円寺を歩く。
僕は涼子さんに追い出され、公園では鈴木さんに逃げられた。
鈴木さんは７０２号室で僕は７０１号室なんだよな。
その７０１号室には涼子さんとカレシが抱き合っているはず。
実際見たわけではないが、恋人はそうやって夜を過ごすものだよ。
涼子さんだって生身の女だから。
ついてるもんはついているし……
濡れるっていうし……
見たこと無いけれど……
　
抱かれている涼子さんか……
あえぐ涼子さんの声……
　
帰ろう。
　
ビルの壁を切り取ったような小さなお店。
白髪の男の焼く鯛焼きを、背の丸まった初老の女が紙袋に入れる。
僕は２４０円を渡して鯛焼きを三つ受け取る。
ひとつは僕の夕飯。
ひとつは涼子さんの分。
のこりは涼子さんと一緒に食べる僕の分。
　
エントランスのオートロックは閉まっている。
僕は鍵を取り出す。
キーホルダーもなく金属の輪がついた鍵。
冷たい鍵穴に差す。
鯛焼きのひとつはすでに僕のお腹で泳いでいる。
　
僕はエレベーターに乗りながら胃袋の鯛焼きが暴れ出し、
口元まで上がってくるのを感じている。
小麦粉が腐っていたわけではない。
僕が女に恐怖感を抱いているんだよね。
　
７０１号室のドアの前。
鯛焼きは人肌の温度で湿り気がある。
ベルは鳴らさないよ。
鍵を開けると涼子さんの靴だけ。
居間へいく。
涼子さんはひとり椅子に座り本を読んでいる。
世界中で涼子さんといるのは僕だけ。
優越感って奴だね。
テーブルにはワープロが開いて置いてある。
その横には原稿用紙。
学校で使う奴とは違う原稿用紙だ。
涼子さんは少しだけ顔を上げる。
　
「おかえりなさい」
「どうも」
　
そういうとまた本を見ている。
　
「友達は？」
「帰った」
「そうなんだ」
　
何読んでるのかな。
　
「鯛焼き買ってきたけれど食べる？」
「あ、べつにいい。めがねくんが食べなよ」
　
せっかく買ってきたのに。
僕は椅子に座り、テーブルに鯛焼きを置いた。
絶対喰わせちゃる。
　
「何読んでいるの？」
「小説の書き方」
「小説、書くの？」
「うん………」
　
女の子は小説家に憧れるんだ。
　
「有名になって数多くのファンの愛を受けて、
　しかもカレシが支えてくれて、その上小説家になりたいだなんて
　欲張りだね」
　
涼子さんが初めて僕を見据えた。
　
「小説が書きたいの、悪いこと？」
「女優を目指すためにＷ大学で演劇の勉強でしょ、
　小説に手を出すのは学問の浮気みたいで」
「私、もう女優だもん、それに書けるような気がするの」
「芸能人が小説書くのって、サイドビジネスで？」
「なにいってんの！私は芸能人じゃないからね！」
　
美人が怒ると、きつい。
僕は黙って鯛焼きを手にする。
冷めたアンコも格別だ。
涼子さんがテーブルに乗りだす。
なんだ？
涼子さんは残りの鯛焼きに手を伸ばすとそのまま頬張り
本に目を戻した。
やったね。
僕は鯛焼きの紙包みを丸めてゴミ箱に入れようとした。
その中には多量のティッシュ。
思わず息を止める。
匂いなんか嗅ぎたくない。
混じっているのは避妊用なんとかの包み紙だ……
居間でしたんだ……
僕が帰って来るんだぞ。
するか？フツー……
　
「何みてんの？」
「すみません」
「めがねくんもさ、早く彼女作りなよね」
「はい…」
「このワープロ使える？」
　
今どきワープロ専用機は珍しいんだけれど。
　
「はい」
「明日、早めに帰るから教えてよ」
「はい…」
　
イメージ的にはｉＭａｃのストロベリーで決めて欲しいね。
裸でｉＭａｃを抱くようにしてカレシは後ろからやさしくしてもらう。
柔らかな胸は半透明のボディに押しつけられるんだ。
　
僕は本人を目の前にして肌の擦れる音を想像していた。
　
つづく
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