No.23 みず
TYNANTの瓶は青いガラスで出来ている。
ボウリングのピンのようなカーブを描く外形。
ちいさな銀色のラベルが品の良さを感じさせる。
東京の空が西からの夕日に染まる時間。
外光のさす居間のテーブルに僕と涼子さんはいる。
涼子さんはいつもより早めの帰宅。
この青い瓶は涼子さんの茶色い紙袋から出てきた。
「この水、350円もするんだよ」
330mlの鉱水はワインと同じ値段だ。
「気取った飲み物ですね、フランス製かな?
水の味しかしないのに350円は瓶代でしょう」
テーブルに置かれた青い瓶は僅かに冷やされていて、
裏を見ると原産国はイギリスだった。
「飲んでみよう」
そういうと涼子さんは青い瓶を握るようにしてスクリューキャップを回して
アルミの弾ける音でキャップが空くと細かく泡立つ音がした。
「炭酸の音だ」
青い瓶の口。
涼子さんはそれを唇にくわえると瓶を傾ける。
ガラスの螺旋と唇の皺との僅かな隙間がウェールズのミネラルウォーターで濡れる。
涼子さんは一呼吸分、飲み終えると藍色のボトルを見つめた。
「おいしい」
「え?」
「うまいよ」
「水だからでしょ」
「飲んでみれば」
と手渡された瓶は、涼子さんのぬくもりとガラスの冷たさが混ざっている。
涼子さんは僕を見ている。
見られるっているのいいもんだ。
濡れた瓶の口。
僕は青いガラスの口を加えると飲む前の一瞬を待った。
瓶は涼子さんのつばきの味もしない。
唾液の味がしないのはふたりが同じ人間だから。
涼子さんは僕の一瞬に気がつく。
さすが自称・演劇学科の在学生。
男と女の機敏がここにあるね。
「どうしたの?」
「う?」
瓶を加えたままの返事は変だ。
僕と涼子さんの距離は近くて遠い……
350円の水は甘味は無いけれど、
強い炭酸の刺激とやや酸味を帯びたしょっぱさで飲み物としては充分な味だ。
「あ、結構おいしいかもしれない」
「でしょ」
涼子さんは、瓶に手をかけた。
僕は涼子さんが水をこぼさないように、瓶から少しだけ力を抜く。
涼子さんは僕をみてうれしそうに瓶を取ると、炭酸の喉ごしを楽しむように飲んだ。
「私、シャワーで汗流してくるから、そしたらワープロやろうね」
日が落ちた濃い青の空、高層ビルの明かりが揺らぐ午後7時の東京を見下ろしながら
僕はふたりきりの夜に期待した。
つづく
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